僕は小学5年生から不登校と呼ばれる状態になった。
不登校の定義とはこう。
「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」
病気でもなければ経済的な理由もない。
心を病んでいた。そう言ってしまえばそうなのかもしれない。
しかしとても曖昧で答えが見つからない。
今僕は思う。不登校とは負の連鎖の結果だと。
家庭の問題、対人関係での問題、部活や勉強での遅れやいじめ。
どれとして単発的なことなどありえない。
関わる全ての人に何らかの問題があり、それらが悪い方向へと連鎖し繋がった結果なのだ。
これは交通事故と同じこと。自分が交通ルールを守っていても、みんなが守らないかぎり事故に遭う可能性がある。
そう考えれば、どんな人でも不登校や、つまづき引きこもりになる可能性はある。
解決しようとするなら、関わる全ての人の問題に向き合い一つ一つ丁寧に解いていくしかない。
学校に行かなくてはならない、登校する学校もクラスも選べない。
そんな本人に選択肢の与えられない状況にある子がいる限り、不登校や追い詰められる子どもはいなくならない。
これは法律や制度の問題ではなく、自分がそうだったからそうでないとありえないと思う僕らの【当たり前】という心の問題だと思う。
話は変わるが、僕は釣りが趣味だ。
釣りは糸を扱うから、時々もつれてしまってどうしようもなくなる。直せそうなものは直すが、見るからに直せないときは諦めて切ってしまい、新しい仕掛けを作り直す。
そうしないと時間がなくなり釣りができないし、ストレスを貯めに行くようなもんだ。
釣り人の誰もが効率的だから当たり前のようにそうしている。
僕は人間関係や心の問題にも同じことを感じている。
早期発見で解決できそうな問題。
あまりにも複雑で直そうとすればするほど酷くもつれてしまう問題。
年齢によって複雑さは増していくけれど、子どもの間でも信じられないくらい複雑な問題がある。
直すには果てしない時間とストレスを必要とする。
一生かかっても直せない問題もある。
価値観や考え方など、分かり合えない人がいて当然なのだ。
大人にはある程度の選択肢がある。
『この人とは離れていよう』と諦めて次に行くことも出来る。
僕らもこれまでの人間関係でそういうことはたくさん経験してきた。
それでも狭い世界で、直らないかもしれない人間関係のもつれを直そうと、もがき続ける人がいる。
それは寿命という限りある命を捧げるということ。
苦しさのあまり追い詰められてその場で死を選ぶ人もいる。
不登校とは仕掛けを変える一つの方法だと僕は思う。
この問題はもう無理だと諦め、立ち向かうのではなく逃げる。
人生は立ち向かう根性も必要だが、諦められる強さも同じくらい必要だ。
もしそこに新しい仕掛けを用意していれば、結び直して新しい人生を始められる。
これはチャンスだと考えてもいい。
例えば
・一時的に休み再登校を目指す
・自宅で勉強する
・学校が作っている行けば出席扱いにしてくれる居場所へ行く
・他校や特認校などへの転校
・フリースクールへ通う
他にも選択肢はたくさんある。
それを本人の意向を基に相談して決めればいいのだ。
それだけのことで時間もストレスも最小限で抑えられる。
もしかして消えてしまうかも知れなかった命を守れたということになるのかもしれない。
何度も言うが、これは法律や制度の問題ではなく、自分がそうだったから、そうでないとありえないと思う僕らの【当たり前】とう心の問題だと思う。
少なくとも法律や制度は少しずつ見直されて来ている。
変わっていけていないのは、世間の空気。
まず当たり前に疑問を持ってみる。そういう人が増えれば、それだけで世界は少しずつ変わっていく。
不登校そのものを重く問題視しすぎること。これは危険なこと。
問題は、なぜこの子が学校に行けないほど追いつめられたのかということ。
そこに気が付かないと、苦しみからようやく逃げてきた子ども達の問題を新たに複雑化して傷つけてしまうことになる。
不登校の問題は当人だけの問題ではなく、すべての人の心の問題だ。
いつか「不登校っていう悩みもあったよなぁ」と笑える日が来ることを心から信じている。
誰もが自分の人生をありのままに生きられるように。
人生には可能性しかないと知ってほしい。
いつどこからでもやり直せる。
君がいるからこそ、この世界は希望に溢れている。
史朗
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