居場所

不登校だった僕らから



中学校2年生になって僕らは本格的にバンドを始めた


相変わらず学校には行けないけれど


些細なきっかけから始まったバンドは周りの人の「とにかく褒める」という
最強のサポートに背中を押されて
僕らは純粋に楽しんでバンドに打ち込むことができた


音楽とは不思議なもので
バンドを始めてからうち(山崎家)に沢山の同級生が集まるようになった


単純に音楽に興味がある子や
学校と反りが合わない子がどんどん来るようになった


皆学校が終わると
自然とうちに集まっていて


漫画を読んだり
ゲームしたり
喋ったり
音楽したり


なにを決めるわけでもでもなく
とにかく各々に自由に過ごす


いつの間にか
うちはそんな子たちの“居場所”になっていた


そんな自然発生的にできた“居場所”には
どんどん人が増えて


1番多い時で上級生も合わせて毎日15〜20人くらい集まるようになっていた


面白いのが集まってくるメンバーは学校ではけっして一緒にいることのない子たちで


真面目で物静かな子や
大人には常に噛みつくやんちゃな子や
男女問わず
うちでは自然と一緒に過ごしていた


ただそれは表面的な彼らで


皆の共通点は
学校にも家にも“居づらさ”を抱えているということだ


そんな子どもたちにはただ音楽が聞こえてくるだけの
普通の一軒家の名前のない“居場所”であったとしても


必要だったのだ


学校でも家でもない
なんの文句も言われない場所が


何よりそうさせていたのは
母の力が大きかったのかもしれない


母はいつも子どもたちを笑顔で迎え入れていた
皆は「おばちゃん」と呼んでよく悩み相談していた


いわゆる“良いおばちゃん”だった


子どもたちはちゃんと“居場所”を見つけたり
作ったりする能力を持っている


だけど大人の理解がなければ
そこが“居場所”であり続けることは難しい


どんな形であれ大人の理解や支えがあってこそなのだ


難しいことをする必要はない
言う必要もない


ただ子どもを信じて見守ってあげていればよいのだ


その見守りこそ
子どもに必要な“安心”なんだと思う


あの時母は子どもたちによくこう言っていた


「何があってもおばちゃんは味方やしね」


僕も大人になって
そんな母のように自然と笑顔で
味方だよと伝え続けられるような人でありたいと
いつも思っている


雄介

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