史朗です。
4月に入り新たな生活が始まった人も多いと思います。
僕の甥っ子も昨日から中学生になりました。
元気に通ってほしいと思う一方で、無理しないでほしいと思っています。
失敗や挫折から得るものは多くても、やはり何事もなく滞りなくと願っています。
僕らジェリービーンズも、講演が少ない今の時期は制作活動しています。
曲作り、レコーディング。
そしてこれまでやろうとして、やってこなかった本の執筆も始めました。
書き方についての右も左もわからないので、みんなで集まっては頭を抱えていますが(笑)
講演活動も長く続けてきたし、ここらで僕らの不登校の頃の経験をまとめてしまおうとみんな気合いが入っています。
楽しみに待っていてくださいね。
僕は今、不登校だった頃に知り合った友人にちょくちょく会っています。
これまで20年近く彼とは会っていなかったけれど、最近縁があって会うようになりました。
昨日も会って一緒にパイの実を食べて現代のユーチューバーについて熱く語り合いました。
パイの実は僕のマイブームです。あれめっちゃ美味しいですよね。
友人のために買っていったのに彼は一個、あとは僕が全部食べてしまいました(笑)イカンイカン!
彼は楽しいし明るいし頭も僕なんかよりずっとずっと良いです。
そんな彼は中学校で不登校の頃からずっとひきこもりです。
彼のしてきた経験は、ホームレス小谷さん風に言うと「ばりおもろ」です。
彼だけのオリジナリティー溢れる人生だからです。
みなさんは【ひきこもり】と聞いたらどんなイメージを持っているでしょうか?
「暗そう」「怠けている」「親が甘やかしている」とか色々なイメージがあると思います。
そういうイメージがあるのは、”名前”から与えられた先入観や偏見があるからです。
不登校、ひきこもり、障がい、病気、人種。
どの名前にも誰かが作ったイメージがあります。
それぞれに全く違う人間で問題は違っているのに。
カテゴリー分けをすることで、分かりやすくする必要はあります。
ですが、ひとくくりにしてはいけないという意識がとても大切で必要です。
僕も講演活動をはじめてからこれまで、いろいろな問題と向き合い、たくさんの人に出会って大きく心が変わりました。
実際に当事者に会いコミュニケーションをとれば、思っていたイメージとは全然違っていて、いかに自分が与えられた先入観に縛られた人間かを思い知りました。
そして不登校という言葉が持つイメージに、自ら追い詰められ苦しんできました。
差別とは、与えられた先入観と疑わない心が生み出したモンスターなのかもしれません。
世間の当たり前や常識や普通とは、多数派の意見で決まっているだけなのです。
当事者である人は、実際の問題の苦しみとは別に、名前のイメージにもまた苦しめられています。
僕らの講演活動は、不登校という名前が作り出した暗いイメージを変えることも一つの目的です。
話は戻りますが、僕の友人は今ひきこもりです。
彼は学生時代にいじめによってつまづき、社会に戻るタイミングをつかめないまま、これまで暮らしてきました。
彼と話していると全てが新鮮でとても面白いです。
感受性の豊かさも優しさも、誰かを傷つけたくない想いも彼の言葉からひしひしと伝わってきます。
彼の素晴らしさを僕は知っている。
そして彼の素晴らしさを、たくさんの人に知ってほしい。
だから彼には、このまま世間の先入観や偏見に負けてほしくないのです。
誰だって思うままに楽しい未来を描いていい。
今の僕に出来ることは、次に会う約束を作ること。
その日まで僕も元気でいよう。
一歩ずつ少しずつ。
心はいつも生まれ変わっていく。
桜が毎年、咲き誇るように。