命の更新

不登校だった僕らから






今回は僕のずっと変わらない考え方の話を書こうと思う








こんな生き方をしていて言うのはおかしいのかもしれないけれど僕は個人的に夢を持ったことがない




些細な願いや目標を夢と言ってしまえば全てが夢になってしまうけれど




とにかく僕は夢を持っていると心で強く自覚したことがない






子どもの時から僕は打たれ弱くて
ちょっとした悪口でも気にしすぎて寝れなくなったり
すぐ身体が痛くなったりした




そのおかげでみえることも多かったけれど




僕は何かがあるとすぐに「自分なんて」と思ってしまう性格で
何度も死にたくなったし死のうともした




それでも人に助けられて生きてくることができた




そんなことを繰り返した少年時代に
「自分が生きていくためにはどうすればいいだろう?」といつもそんなことばかり考えていた




そしてある日ふと思った




「後一年生きてみよう」




そしてそこでまた生きるかどうかを決めよう






これは僕にとってネガティブなことでもなんでもなくて
むしろ精一杯の前向きな答えだった






そこから自分で決めた”命の更新制度”で生きてきた






生きる理由は大きくなくてもいいと思う


些細な約束や楽しみだったり


また好きなものを食べたいだったり


また会いたいだったり






僕はそうやって命を繋いでくることができたから






だから僕は自分がどんな生き方であっても
”大きな夢を持って未来へ”
とは思えないと思う


ただ今ここにいられることが
何かを続けられることが


ただただありがたい


それだけで






僕は自分の作品の中に
夢や頑張るは使わない






僕はもともと生きることは頑張るものではないと思っていて


というのは生きることそのものがもう頑張ることだと思うから
それ以上に無理をして頑張ることを意識して生きなくてもいいと思うんだ




そんな気持ちに追い詰められて死んでいくのはなんだかすごくもったいないと思うから






目の前のことを出来るだけ楽しんで味わって


その積み重ねが人生で


未来はわからないけれど


振り返った足跡をみて


きっとそこで自分は頑張ってここまで生きてきたんだなぁって気付く


頑張りは過去の自分を褒めてあげるためにあるんじゃないかと思う






僕は夢を持っている自覚はないけれど


些細な願いも全てきっと
生きていることそのものが夢だとも思うんだ






もちろん夢やがんばりに背中を押されたり
胸を張れるのは素晴らしいことだと思う






ただそれ以外にも僕のように
こんな考え方をしている人もいて


こんな”前向き”もあることを知ってほしい




雄介

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