人の心とはとても繊細なものだ
それは大人になっても変わらなかった
僕は不登校をしていた時
どうしても玄関から出られないという経験をした
それから大人になって
不思議なことにあの頃とは反対に
玄関に入れないという経験をした
そう
僕は大人になってから
約半年間
家出をした
その時のことを書こうと思う
16歳で上京して
約6年間
関東で音楽活動をしてから
22歳の時に実家に帰ってきた
理由は東京じゃなくても音楽活動ができることに
皆が気がついたから
それから実家で暮らすようになってしばらく経った
その頃
嫁ぎに出ていた姉も子どもを連れて実家に帰ってくるということもあり
実家に僕の部屋はなくて
リビングの横にある物置きのようなちょっとしたスペースにベット置いた
その上が僕の場所だった
賑やかな実家での暮らしは僕にとって嫌なものじゃなかった
そんなある日のこと
朝早くリビングで父と母が起きてきて朝ごはんを食べている
いつものことで
僕はすぐ横のベットで半分眠った薄い意識の中で
二人の会話を聞いていた
二人は僕が熟睡していると思っている
今日の話題は僕ら(JERRYBEANS)のことだった
父はいつも僕らの稼ぎが少ないことを心配していたし
それもわかる
ただ母は僕らが不登校になってバンドを初めてから
ずっと応援してくれていて
「私がファンクラブ1番や」とか始めに言われた時は
何より嬉しかった
二人の会話は進み
「いったいいつまでバンドを続けるつもりなんやろう」
母からそんな言葉が出てきた時
よくある話だと思いながらも
ある感覚を思い出した
それは小学校5年生の時に先生に言われた「字が汚い」
それを言われた時のような感覚
あの時はその言葉がきっかけで僕は学校にいけなくなった
母の言葉に
それでも僕は「こんなことはよくあることで
この年齢なら当たり前」
と自分に言い聞かせて
何も聞いていないし
忘れよう
そう思った
そしてその日
いつものように家を出て
いつものように帰ってきた
でも
玄関に入ろうとするのだけれど
ドアノブに手をかけることが出来なかった
そしてとうとう
僕は家に入ることが出来ずに
僕は家出人になった
それから僕はいろいろなところで寝た
漫喫だったり
車中泊だったり
いろいろ回って
最終的に僕は普段は空き家の父の会社の保養所に隠れ住むようになった
そこでは夜
電気は付けないし
ただ暗闇の中で音を立てないように身を潜めていた
まるで犯罪者かアンネフランクのように
僕は隠れながら物音一つにも敏感になっていた
僕は人に頼るというのがめっぽう苦手で
それは不登校の時に感じた罪悪感のような気持ちが
心の何処かにあるからなのかもしれない
それでもわかっていた
しんどい時や問題が起きた時は
何をおいてもやはり人に頼ることが一番だということ
家出をしてから
僕は何度も実家に行って
見つからないように家族の団欒を見ていた
自分の家族なのに
まるで他人の家族を見ているような
こんなに傍にいるのに
果てしなく遠いような感覚
この感覚もまた
不登校の時に学校に感じていた感覚だった
そんな家出生活を約半年間過ごして
僕はやっと家に帰る時がきた
きっかけは母からきたメールだった
「私が子どもだからなにか言ってしまったんだと思います
ごめんなさい」
そのメールを受け取ってから
僕は驚くほど自然にドアノブに手をかけることができた
心は驚くほど単純な時もある
それから母に家出の理由を正直に話した
母は父に気を使って言っただけで
今でも変わらず応援してくれていた
そして「私も弱いから心がいつも変わっていたり
変なこと言ってしまったりする」と
そう言われて僕はホッとした
それが人間だから
僕だって
誰だって弱いから
結局僕は子どもの頃と何も変わっていなかった
言葉に傷つき
人に傷つき
言葉に救われ
人に救われた
僕が今出会う不登校や生きづらさを抱える子ども達は
みんな何かしらの罪悪感を抱えていることが多い
みんな悪いことをしているわけではない
繊細で優しくて
その結果
自分を責めてしまうのだ
そんな子ども達は
僕と同じで人に頼ることがなかなかできない
「これ以上迷惑をかけられない」
そんな気持ちを持っている
だから同じ感覚をもった僕だから言えることがあると思う
だから僕は
自分の弱さもつまずきも
これからも伝えていこうと思う
言葉だけじゃなく
僕の姿をみて
「人に頼ってみようかな」
一人でもそう思える瞬間があるのなら
伝えることに意味があると思うから
雄介