不登校だったあの頃の自分と今の自分

講演ライブをした学校や、地域のイベントで寄せられる感想には、
 
「不登校だったのに人前でメッセージを届けるなんてすごい」
 
「不登校だった彼らの笑顔に感動しました」
 
といった声も多いです。
 
 
そんな風に言ってもらうとものすごく嬉しくて、ありがたいなぁ‥と思います。
 
でも、僕たちの中では、不登校を乗り越えたといった感覚はなくて、
あの頃から何も変わっていないところがほとんどのような気もしています。
 
そんな話をしようと思います。
 
今不登校の子と向き合う方に何か参考になれば嬉しいです。
 
 

 
 
不登校だった当時、外に出ることは僕にとって当たり前ではありませんでした。
 
何故かというと、とにかく周りの人の目を気にしていたからです。
 
平日の昼間は「こんな時間に、子どもが町中を歩いているのは何で?」と思われるのではないか、それ以外の時間は「同級生と出会うかもしれない」と勝手に警戒していました。
 
 
周りの人が自分を見ているような気がして緊張したり、どう思われているのだろうと不安にもなりました。
 
それは、一人だからということに関係なく、親と一緒でも。
 
 
たしかに、そんな子どもが、その後の人生で人前に立つことにギャップはあるので、驚かれても不思議ではないです。
 
ただ、僕が今までを振り返ると、他人の目が平気になったことは一度もありません。
 
どんな小さな輪でも、人前に立ったり、何かを話すときは緊張します。
 
今でも、周りの人が自分のことをどう思っているのだろうと不安になることはしょっちゅうです。
 
 
自分の中で、大きく何かが変わったと感じているきっかけがあるとすれば、ただ一つだけです。
 
中一のとき、山崎兄弟と出逢ったことです。
 
外に出ることが怖かった僕ですが、山崎兄弟と一緒なら平気になりました。
 
三人で行動すると目立つはずなので、考えてみると平日の昼間はむしろ出にくくなる気もするのですが、その出にくい感覚が一切なくなりました。
 
三分の一に分散されたわけでもなく一切。
 
 
公園で野球をしたり、びわ湖で釣りをしたり、電車に乗って不登校の子が集まる会に行くようにもなりました。
 
他人の目を気にしなくなったというよりも、むしろ何故か少し堂々とできるようにさえなりました。
 
こんな時間に子どもが遊んでいることに違和感あるでしょ?みたいな気持ちもどこかで芽生えていました。
 
 
ただ、変わらなかったのは平日の昼間以外。
 
同級生と会うことは避けていました。お互いの家から帰るときは、暗くなってからスーッと帰っていました。笑
 
 
僕が今感じることは、学校で講演ライブをしていることもあの「平日の昼間」の感覚と変わっていないのではないかと思います。
 
三人とも、今でも一人で何かをするときはものすごく緊張します。
 
でも三人一緒だと、堂々とできる。
 
活動の目的があれば、むしろもっと目立てないかなぁと考えたりもします。
 
 
ステージで堂々とできる理由は「三人一緒だから」で、それは不登校で悩んでいた当時からあるもので、決して何かを乗り越えたから生まれた感覚ではないのです。
 
 
今、不登校の子も、不登校がきっかけで誰かと出逢うことだってあると思うし、心を許せる友達ができるといいなと思います。
 
 
最後まで読んでいただきありがとうございます。
こうして考えていると、書きたいことがたくさん溢れてくるのでまた次回に。
 
 
八田
 


 
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