かけがえのない他人の君へ

曲のエピソード





僕が書いた曲の中に「かけがえのない他人の君へ」という曲がある




この曲は僕が十代後半の頃に生まれた




「かけがえのない他人の君へ」には当時の僕の無力感が詰まっている






上京して数年




崩壊しそうな家族を残して来たという罪悪感がいつも心の何処かにあった




手紙を出そうにも言葉が出てこない


そんな自分が悔しくて


だから僕は必死に曲を書いていた




そんな心にある僕にも日々沢山の出会いがあった




同世代の多くはまだ学生をしている時に
僕らはバンドで上京して貧乏生活をしながらライブハウスに通うことが日常だった




そんな僕らが人と出会うのはほとんどがライブハウスで




きっと僕も含めそこに通う多くの人がアンダーグラウンドな生き方を選んだ人たちだったんだと思う




そこで僕は音楽だけじゃなく生き方にもRockがあることを知った




ある時僕らの不登校を知ってある人が「そんな年(子ども)でちゃんと社会に反発出来るなんてRockじゃん!かっこいいじゃん」って言ってくれてなんか嬉しかった


その言葉で僕は不登校の時 心のしんどさだけじゃなく


あれは僕なりの身体を張った反発だったんだと思えたら少し気が楽になったし


その時の僕はライブハウスに行くと自分の人生も珍しいものではないと思えて安心できた




だけどそこで出会った人たちもまた皆いろいろなものを抱えて戦っていた




援助交際




無意識の自傷行為




自殺願望




お金やお酒に人生を狂わさる人




東京には夢も希望も
その逆の闇もそこらじゅうにあった




友達は笑顔で身体を売っていると言った




なんでも聞くことはできた でも僕は何も言えなかった




ある日友達が家に泊まりに来た時
その友達は眠りながら自分の手を引っ掻いていた
血が出ても止めなくて


僕は一晩中ただその手を力いっぱい抑えることしかできなかった




友達は起きてからただひたすら謝って泣いていた
僕はただ一緒に泣くことしかできなかった




あの時僕たちは死にたくて
でも生きたかった




その頃僕はいつも心の中で


人生ってなんだろう


命ってなんだろう


愛ってなんだろう


お金ってなんだろう


心ってなんだろう




そんなことばかり考えて




でもわからなくて
自分の無力さにふと近所のマンションの屋上にいることがあった




こんな僕が生きている価値がわからなかったから




そんな時にふと口ずさんで出来たのが「かけがえのない他人の君へ」だった




結局僕は今も生きていて




今もずっと無力のままだ




だから精一杯自分の出会った人たちの幸せを祈っている




無力だから




心から祈りを込めて唄うことができたんだ




おかしな話だけど
その唄は無力じゃないと信じている






どうか どうか幸せで




雄介







かけがえのない他人の君へ


かけがえのない他人の君へ もし 心に値がついて
人を愛することで お金がもらえるとしたら
あなたは誰でも愛せますか?
許せますか?


かけがえのない他人の君へ もし 生きること自体
働くことだとしたら 僕らはいったいいくら もらえるんでしょう


かけがえのない他人の君へ やっぱり僕らは独りでしょうか
それでも あの日笑いあったことが ずっと忘れられない
僕がいるんです




あなたは今どうしてますか?
疲れた心でまた無理してますか?
ずっと心配で仕方ないのに 今日も僕は
こんなくだらない手紙すら 出せずにいます




かけがえのない他人の君へ お金で 僕らはいったいどれくらい
変わってしまうんでしょうか
それでももっと大切なものがあると信じたいんです
それでも金で 人は人を殺せるんです
それでも金で 人は子どもたちさえ殺めるんです




僕はここで生きています ちっぽけな命でずうずうしく
君の助けにもなれず 何の足しにもなれず
それでも生きることを続けています


僕はここで生きています 恥ずかしい命をさらけだしてなお
どんな風に変わってしまっても
僕らには生きる権利があっちゃうんです
僕にも‥ あなたにも‥


かけがえのない他人の君へ

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